2023-09-01

琉球髪型 琉球独自の文化の一つ

 1920年(大正9年)の第一回国勢調査によると、沖縄県の「理髪業理容業」就業者数は621人で、そのうち女性はわずか7人でした。男性客相手の理髪業に就業しているのは男性中心ですが、大正時代には少ないながら女性も進出していました。

沖縄の女性はセルフで行うのが定着していて、もしかしたら、女性相手の髪仕事は存在しなかったのかもしれない。あるいは、髪に関しては金銭のやりとりをする風習がなかったのかもしれない。といった素朴な疑問がでてきます。


沖縄は明治初期に日本に帰属することになりましたが、本土とは違う独自の文化がありました。中国と日本の両方の影響を受けたといわれてます。

琉装(りゅうそう)といわれる装い、琉髪(うちなーカラジ、または、うちなーカンプウ)といわれる髪型で、日本髪とは違います。


琉髪を結うことを「カラジユイ」(髪結い)といい、琉髪を総称してからじ結いとよぶこともあります。

頭頂部に髻をとり、髻に髪を巻き付けて結うのは日本髪の島田髷や丸髷と同じですが、その姿は琉髪独特です。いろいろなデザインがあり、しかも身分、職業、年齢、地域によってさまざまです。首里結い、那覇結い、辻結い、カタかしら、真結い、などなど。


琉髪は、最後に簪で留めて固定して完成します。簪といいましたが、沖縄ではジーファーといい、形状も簪とは若干違います。簪は片側が耳かき状に加工してあるものが多いですが、ジーファーは耳かきより大きく、スプーンに近い形状をしています。


琉髪は、意外に風通しがよく、高温な沖縄に適しているといいます。琉装も涼しくするための工夫がしてあります。風俗はその土地の気候に合うように変化して、独自の文化になるようです。


そして琉髪は、セルフ、もしくは家族や仲間内で結うのが定着していたのが沖縄県のようです。10年後の1930年(昭和5年)の国勢調査で、沖縄県の「理髪師髪結美容師」就業者数は790人、そのうち女性は18人でした。

女性の髪はセルフで結うのが、戦前の沖縄の文化でした。

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