2023-03-10

燈籠鬢 一世を風靡した?

 燈籠鬢は宝暦(1751-1764)の頃から行われるようになり、寛政(1789-1801)ころまで流行ったとされています。

日本髪には三百ほどの髪型がありますが、そのかなでも非常に特徴のある髪型です。

鬢を左右に大きく張り出し、鬢差しに毛筋を巻き付けますが、透けて見えることから透け鬢ともいわれています。


独特の美しさがあり、浮世絵に多く描かれてます。当時の書籍にも登場します。後年の『守貞万稿』や『江府風俗志』、『嬉遊笑覧』に江戸中期に流行った髪型として紹介されています。さらに明治期以降の『日本結髪全史』や『江戸髪結史』にも、江戸時代の書籍を引用して、当時大流行した髪型として紹介されています。

これらの書籍をみると、多くの女性がこの燈籠鬢で日々を過ごしていたかの如きです。


しかし、この燈籠鬢にするのは難しい。銀、針金、あるいはクジラの髭でできた鬢差しを使い、この鬢差しに毛筋を巻き込んでつくります。遊女らは別にして市井の女性はセルフで髪を整えるのが当時の常識です。一人で処理するのは至難の技といえます。できる女性がいたとしても、ほんの一握りの女性でしかない。


遊女らはお互いに結いあうこともあるし、江戸時代中期には遊女相手の女髪結も登場していますので、女髪結に燈籠鬢にしてもらうことはできます。とはいっても浮世絵に描かれたような美しい鬢を作るのは相応の腕のある女髪結でなければ難しそうです。浮世絵師が実物以上に美しく描いたのかもしれません。


燈籠鬢は特異で美しい。浮世絵師は好んで燈籠鬢をした遊女の絵を描いています。希少で珍しい、だから絵の題材にしたのではないでしょうか。当時の書籍も同様です。

そして後年、江戸時代中期を代表する日本髪の一つとして髪型風俗史にその名を残すことになったのが燈籠鬢ではないかと思うのです。

大正時代に登場して話題となったモボモガも同様です。モボモガといえば大正時代を代表する風俗として紹介されることが多く、当時、登場したのは間違いありませんが、燈籠鬢と同様、ごく一部の若い男女に限られた風俗でした。

洋風の服飾、メイク、髪型が増えはじめるのは昭和5、6年ごろからで、戦時色が強まった10年代になって、女性の洋装化はすすみました。

たとえれば、モヒカンヘアはユニークで、モヒカンにしている男性はいます。希少で人目を引きます。もしかしたら100年後、200年後、20世紀後半に流行した男性の髪型として、記録されるかもしれません。(デジタル社会ではそんなことはないか)


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