2022-08-11

下島田(さげしまだ)、惣釣り(そうづり)は不明の日本髪

 金紙七髷結(きんがみはねもとゆい)より

…我れ、いつとなく、人の形振り(なりふり)を見ならひ。当世の下島田(さげしまだ)、惣釣り(そうづり)といふ事を結い出し(いだし)。去る御かたへ、御梳(おかんあげ)に、みやづかひを、つかまつりける。…

前回の冒頭部分に続く、くだりです。


一代女は、人のやっていることを見て覚え、いま流行の下島田や惣釣りを結える、とあります。

江戸時代を通して、女性は自分の髪はセルフで行うものとされていました。江戸時代以前も以後も市井の女性の多くはセルフで処理していました。人に頼むのは婚礼などハレの場に臨む時ぐらいでした。


しかし、例外もありました。遊女のなかには凝った髪にするために髪結上手の同僚や従者に結ってもらってました。一代女の奉公先の夫人は髪の毛が薄いという特別の事情があったのです。


一代女は、島原で大夫、天神、端局などの遊女の経験があります。遊女は流行の先端の髪をしていたはずで、ここでの経験が御梳の奉公を可能にした。西鶴もそれを前提に話を進めています。


髪仕事は、腕があれば誰でもできる仕事です。いまは国家試験に合格しなければ就業できませんが、それは戦後になってからの話です。戦前にも試験制度を導入している自治体はありましたが、すべの自治体が導入していたわけではありません。


また、この一文に登場する下島田という髪型については不明です。日本髪の名称は、同じ髪型に複数の名称があったり、上方と江戸では同じ名称でも違う髪型だったりと複雑です。『好色一代女』での下島田は、挿絵から投げ島田、もしくは、しめつけ島田に似ていますが、まったく別の島田髷かもしれません。惣釣りも同様に不明です。


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