2021-11-09

理容・美容という言葉の歴史

 理美容には歴史があります。理容・美容という言葉にも歴史があります。


理容は、いまでは主に男性客を対象にしたサービス、施設をさすことで定着しています。

もともとはもっと広い意味で使われていました。男性に限らず男女の髪を整える、さらには容姿を整える、といった意味で使われていました。


初見は、遠藤波津子さんが明治38年に東京・京橋で開業した「理容館」かと思われます。この店では髪も結いましたが、当時最先端だった美顔術なども施術していて、理容という言葉を店名に使用したのではなかと考えられます。


明治後期から大正、戦前の昭和まで理容という言葉は、髪に限らず美顔術なども含めての言葉として使われていました。理容に近い言葉として、整容、美容、美粧などがあります。これらの言葉も当時使われていました。どちらかというと、いまの美容に近いニュアンスに感じられます。


理容という言葉が、いまの理容になったのは、昭和26年に理容師法が改正され、理容師美容師法に改められてからです。それまでは、いまの理容は理髪と呼んでいました。

終戦直後の昭和22年に成立した理容師法は、第一条に「この法律で理容とは、理髪及び美容をいう。」とあることからも、理容という言葉は、理髪と美容を含んだ広い意味で使われていたのがわかります。


その理髪という言葉は、断髪令(明治4年)前の明治2年に「理髪営業鑑札」(理髪の営業許可証)が神奈川県庁が出しています。これより前の幕末には使われていた可能性があります。断髪令前後には理髪のほかに、斬髪、剪髪、刈込、断髪、散切、散髪などの言葉が見られます。

理髪が広く使われるようになったのは明治10年ごろからのようです。


店の呼び方もいろいろです。西洋刈込所、西洋風髪剪所、理髪所、理髪床などいろいろあります。理髪床は、理髪のほかに髪結も行っていた可能性があり、多くみられます。江戸時代は床屋が広く使われていて慣れ親しんだ床屋から、理髪床としたのかもしれません。


明治後期には、国内でも数店ですが、富裕層や外国人を相手にした高料金の理髪店が出現します。店内に風呂を設備し、ネイルや靴磨き、施術中に衣服のクリーニングサービスなどを提供する店で、多くは高級理髪店を名乗っていました。仏語のオートコワフュールからとったのかもしれません。


美容はいまでは「超」がつくビッグワードになっています。髪を扱うのも美容ですが、髪だけでなく、メイクやネイル、痩身、エステティック、化粧品などなど、広いジャンルを含んで、美容という言葉が使われています。


美容という言葉は、大正2年に開校した美容講習所(マリー・ルウィーズ)が理美容業界では初見のようですが、一般ではこれより前に使われていた可能性がありそうです。明治末ごろの新聞や婦人雑誌を丹念に閲覧すれば、美容という言葉がでてきそうです。


明治後期から大正時代にかけては、美髪が多くみられます。女髪結の結う日本髪、束髪に対し、女性の洋髪を美髪といったのかと思ったのですが、そうでもなさそうです。明治39年に大日本美髪会が設立されました。この団体は芝山兼太郎や大場秀吉、篠原定吉ら理髪の著名な人たちが役員に名を連ねています。まぎれもなく理髪の組織です。

同2年開校した東京女子美髪学校では女性の生徒に日本髪や洋髪を指導していました。美髪は、男性の理髪、女性の洋髪、和髪を含めた広い意味で使われていたようです。


大正10年に日本で初めて行われた国勢調査では、「理髪・理容業」の分類があり、理髪は男性相手の理髪業、理容は女性相手の和髪、洋髪の業者の分類でした。合わせて約14万人いました。当時の行政は、理容は女性相手のいまの美容に近い認識だったのがわかります。

こうなると、ややこしい。


いま、美容という言葉には主に女性客相手、理容は主に男性客相手のイメージがありますが、これは昭和の残照といえます。施術内容はほぼ同じですし、理容と美容の言葉の歴史をたどると、ゴチャゴチャ。この際、理美容というのがふさわしい。


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