『大日本理髪師名鑑』が発行された大正2年のころ、理髪師の大半は男性でした。女性理髪師はいないわけではありませんが、大変珍しい存在で、女理髪師とか女床と呼ばれ、地方新聞の記事に載るくらいでした。
『大日本理髪師名鑑』に掲載された名簿をみても女性名を探すのは難しい。ほぼ男性理髪師です。しかし、奈良県と三重県の一部の名簿欄に女性名が異常に多く見られます。
あまり多いのでざっと数えてみたら、三重県津市は142名中89人、奈良県生駒郡は37人中19人、同磯城郡は77人中38人といった具合です。津市と生駒郡は半数以上が女性でした。
こららの地区では何らかの事情で女理髪師が多くいたのかもしれません。しかし、不自然さは否めません。
『大日本理髪師名鑑』と銘打ってはいますが、こられの地区では女髪結が混じったのかもしれません。この時代、女性の洋髪をする女性美容師は都市部に存在しましたが数えるほどです。まして地方ではいないと考えるのが妥当です。
やはり女髪結を掲載した可能性が高い。
『大日本理髪師名鑑』は名鑑となっていますが、名簿のなかには店名と思われる名前が掲載されていたりもします。掲載ルールが完全には統一されていなかったようです。
大正2年当時、女理髪師は珍しい存在で、理髪師全体の1、2%程度と推測するのが妥当でしょう。
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