日本では理容業と美容業、理容師・美容師に職業区分されていますが、世界でも珍しい。ほとんどの国では理容・美容の区分はありません。
日本では区分されている理容・美容ですが、業務内容はほぼ同じです。あえていえば、シェービングを業務範囲としているのが理容で、まつ毛エクステンションができるのが美容になります。
しかし美容師の際剃りなど化粧にともなうシェービングは可能で、独立したメニューとしてはできないことになっています。またまつ毛エクステンションは美容師の業務とされてますが、通知レベルの話で、一応業務範囲になっている、という程度です。実質では大差はありません。
この理容・美容という言葉には、ちょっとした歴史があります。
江戸のむかし、髪結といえば男の仕事で、男の月代を剃り髷を結ってました。これに対し女性の髪を結っていたのが女髪結です。髪結=男、女髪結=女、この区分が後々まで続くことになります。
江戸時代、女性の髪は自分で結うのが習わしでしたが、江戸時代も後期になると当初は遊女の髪を専門に結っていた女髪結が広く一般女性の髪を結うようになります。ただ幕府からは公許された存在ではありません。女髪結は取り締まりの対象でしたが、女髪結は広く認知された職業でした。
明治維新で髪結は西洋理髪へと業の内容が変ります。丁髷からザンギリです。明治20年ごろにはほぼすべての男性はザンギリの洋髪になったといいます。髪結のなかには廃業した人もいましたが、多くの髪結は西洋理髪へと業態変換して仕事を続けました。
理髪と書きましたが、理髪という言葉は明治10年ごろから使われるようになった言葉です。それまでは、髪剪、斬髪、刈込などといってました。こられの言葉の前に西洋という言葉をつけることも多くありました。西洋髪剪、西洋斬髪、西洋刈込です。
後に所をつければ理髪を行う場所、士や師をつければ理髪を行う人になるわけです。西洋髪剪所、西洋髪剪師です。
明治10年ごろには理髪という言葉とともに散髪という言葉も使われるようになります。髪剪、斬髪などが死語になったのに対し理髪、散髪はいまでも使われることがあります。
女髪結は、明治になって公けに認められた職業になります。女髪結は幕末から明治にかけて興隆しますが、明治10年代までは男の髪結が稼業をしていたため、名称は女髪結のままです。明治12年に東京市の女髪結が組合結成を請願していますが、女髪結の名称を使っています。
髪結から理髪への業態変換は明治のなかごろには完結し、明治後期になると髪結といえば女髪結をさすようになります。髪結=女髪結、です。幕末から明治にかけてが日本髪を結う女髪結の全盛期でした。
理容という言葉の初見については不詳ですが、明治38年に遠藤波津子さんが東京・京橋に「理容館」を開店しており、これなどは早いほうだと思われます。旅館の女将から転職して開店し、美顔術や日本髪、束髪などのサービスを提供しました。令和のいまに続く老舗の高級店です。
当時の理容はいま使われている理容とは違います。いまの理容は当時の理髪のことです。当時の理容という言葉はもっと広い意味合いで使われていて、容姿を美しく整える、といった意味合いがあったようです。
「理容」にやや遅れて、整容、美髪、美粧、美容、美容術といった言葉が登場します。いま美容という言葉は超がつくビックワードですが、理美容業界ではマリールイーズ女史が大正2年に創設した美容講習所が古そうです。大正11年に資生堂が「美容科」を作りましたが、そのころは美容という言葉はかなり広く使われていたものと思われます。
明治末から大正、戦前の昭和は、理髪(いまの理容)、美髪(いまの美容)、髪結の三つの業態が存在していました。これらを総称する言葉が理容でした。中心となる客は理髪が男性、美髪・髪結が女性です。
終戦後、昭和22年に理容師法が成立し翌年施行されますが、この理容師法は理髪業を中心にしつつ美容業にも対応した内容になっていました。その後、美容業界で独立した業法を求める動きが台頭したことで、昭和26年の理容師美容師法の成立を前に、その前年、理髪の業界(全国理容連盟/現・全国理容環境衛生同業組合連合会)は職名を理容に統一することを決めました。昭和32年には美容師法が単独法として独立します。
昭和26年を境に現在の理容と美容が分かれたわけですが、江戸時代から理容(髪結)は男性客、美容(女髪結)は女性客という暗黙の前提がありました。ジェンダレスのいま、理容師法・美容師法、理容・美容による性差による違いは存在しません。しかし、過去の因習の残滓がいまも多少漂っているようです。これも、そのうち完全になくなるでしょう。そのときは理容と美容を区分する必要性がなくなります。
ところで、いま髪結は職業区分にはありません。男の髪結が明治4年の断髪令から15、6年の年月をかけて理髪に変換したように、髪結も昭和初期のころから徐々に洋髪を扱う美容へと変換としていきました。戦後もなでつけを行い、束髪を結う髪結さんはいましたが、いまではほぼ見かけません。
男性のザンギリ頭は政府が率先して働きかけましたが、女性の洋髪は自発的に進みました。背景には戦時色が色濃い時代で勤労動員された女性が多くいて、活動的な服装である洋服への移行がありましたが、女性のおしゃれに対する願望も強いものがあったようです。
ちなみに『広辞苑』で「理容」を調べると、第一義に「理髪と美容」とあります。さすが『広辞苑』です。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。