昭和天皇の理髪師を務めたO氏は、白髪の似合う穏やかな老紳士でした。
ご自宅を訪ねた際、何度かお話を伺ったことがあります。ある日、彼が見せてくれた一枚の写真には、騎馬にまたがる若き日のO氏の姿が写っていました。周囲には近衛兵も写っていましたが、O氏は背筋をまっすぐ伸ばし、ひときわ精悍で凛々しい姿をしており、「美男子」という言葉がぴったりの人物でした。記憶は曖昧ですが、上部に房のついた丸帽を被っていたのを覚えています。
昭和天皇とどんな会話を交わしていたのか、O氏に聞いてみたことがあります。世間話や政治談義などを期待していたのですが、「天皇陛下は椅子に座るとすぐに寝息を立てられてしまって、会話を交わしたことは一度もありません」。残念ですが、それが真実だったのでしょう。
散髪が終わると天皇は目を覚まし、「私のような者にも『ありがとう』とおっしゃって理髪室を後にされた」と、O氏は当時を懐かしそうに語りました。昭和天皇の礼儀正しさを実感した出来事だったそうです。
そんなO氏は、小隊長として大陸に出征した経験もあります。内地で練兵した兵士たちに、中国大陸で古参兵が合流し、小隊が編成されたそうです。若き小隊長にとって、現地での古参兵たちは扱いにくい存在だったようで、様々な苦労話を聞かせてくれました。
また、内地で練兵中、ある兵士から除隊の申し出があったという話もしてくれました。農家出身で、家庭の事情が非常に厳しかったようです。病弱な長男、年老いた母親、幼い弟妹……自分がいなければ一家が飢え死にするかもしれない、という切実な訴えでした。O氏は何とか助けてやれないかと悩みますが、結局その兵士は脱走してしまいます。脱走は軍法で重罪。O氏は「あのとき何もしてやれなかったことが、今でも悔やまれる」と、しみじみと語っていました。
当時、小隊長であったO氏には相談できる上司がいなかったのかもしれません。昭和天皇の理髪師という立場もあり、同僚や上官から距離を置かれていた可能性もあります。戦前の天皇は「現人神」であり「大元帥」です。その天皇の身近にいたというだけで、周囲から一目置かれる、あるいは煙たがられる存在だったのかもしれません。
戦後80年。戦争体験や記録はさまざまな形で語り継がれています。しかし、特攻隊や原爆、東京大空襲のような象徴的な出来事とは異なり、「脱走兵がいた」という事実は、人々の記憶からこぼれ落ちていくのでしょう。O氏の悔恨の言葉が、その一端をそっと照らしてくれたように思われます。
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